【レポート】
『適応行動を司る社会シグナルの神経科学的解析』菊水健史氏

グローバルCOE特別講演会
『適応行動を司る社会シグナルの神経科学的解析』

菊水健史 氏
(麻布大学動物応用科学科 教授・玉川大学脳科学研究所 特別研究員)

親和や愛着の形成、攻撃、繁殖など、他者との関わりにおいて見られる多くの行動は、社会関係の構築、適応において重要である。しかし、どのようなシステムによってそれが決定されるかを理解するには、個体内の要因、たとえば、嗅覚・聴覚などの感覚情報、ホルモンなどの体内環境、遺伝や経験、性差の影響だけではなく、群れや社会における個体間そして世代間関係までを視野に入れた検討が必要となる。本講演では、動物の社会的行動の認知・神経的基盤についての体系的理解を目指し、精力的に研究をされている麻布大学の菊水健史先生に、マウスのフェロモンを介した性シグナルの認知システム、そして、雄マウスのラブソングと雌マウスのパートナー選択に関する研究についてお話いただいた。

匂いやフェロモンは動物のコミュニケーションにおいて広く用いられる。フェロモンはその情報を受けた個体の内分泌変化を引き起こし、生殖や攻撃などの行動を統制する。近年、雄マウス特異的なフェロモン・ESP1が発見され、それが雌においては雄からの繁殖行動の許容を高めること、その一方で、雄個体においては攻撃行動を促進することが報告された。つまり、不思議なことに、単一のフェロモンが個体の雌雄によってそれぞれ異なる行動を引き起こすのだ。この行動の性差はどのように生まれるのか?可能性として、ESP1受容後の神経システムの反応の違いがそれを決定すると仮定され、実証実験が行われた。その結果、ESP1による刺激は雌雄によって扁桃体内側核の異なる経路を経由し、雌では視床下部繁殖中枢、雄では視床下部攻撃中枢へと伝達されることがわかった。この研究から、単一フェロモンによって起きる性特異的な行動の表出とそれを規定する神経システムの様相が明らかにされた。

 匂いやフェロモンに加えて、歌などの聴覚刺激もマウスのコミュニケーションに大きな役割を果たす。雄は雌個体に対して超音波によるラブソングを発声する。この雄マウスのラブソングについて、①ソングに系統差があるか、②ソングは遺伝か環境か、③ソングの雌への効果が検討された。まず、世界各地のさまざまな系統のマウスのソングを比較したところ、系統によってソングが異なることがわかった。続いて、この系統特異的なソングが遺伝によるか、環境によるかを知るため、異系統間での里子実験が行われた。しかし、雄マウスのソングは育ての親のソングには影響を受けなかったことから、養育環境での学習経験よりも遺伝的要因が強く影響することが示唆された。また、雄のソングが実際に雌のパートナー選択に影響するかを調べたところ、面白いことに、雌は自系統よりも異系統の雄のソングをより好むことがわかった。これは、雌個体が繁殖においてインセクトタブーを避けたり、遺伝的多様性を維持したりするために機能していると考えられる。これまで、匂い刺激の選好においてはこのような傾向が報告されているが、それが歌にも現れることはこの研究から始めて明らかとなった。

講演では上記の研究のほかにも、エピジェネティクスを用いた実験など、動物の社会的行動の神経メカニズムを解明するための多くの研究が紹介された。ヒトを含む動物の社会的行動は多くの分野で研究が進められているが、多様かつ複雑な行動が何を手がかりに、どのように決定されるのかについては今後さらなる検討が期待されている。その中にあって本講演では、フェロモンをはじめ動物の社会的行動を決定する情報を可視化し、その働きをさまざまなアプローチから解明していこうとする先端の研究に触れる良い機会となった。

日時 2012年6月27日(水)15時00分~17時00分
場所 玉川大学 研究・管理棟 5階507室
報告者 村井千寿子(玉川大学脳科学研究所 GCOE研究員)