【レポート】 第4回 グローバルCOE特別講義

『言葉と身体感覚 : 連なる妄想、求める快楽』
島田 雅彦 氏(小説家、法政大学・教授)

 本講演では、小説家の島田雅彦氏が、言語や妄想について、小説家という立場からどのように考えるのかを述べられた。

 島田氏は、まず、人間の文化や技術にとって言語が非常に重要であることを指摘された。そして、言語が「コミュニケーションの道具」としての役割以外に、「ものごとを分ける」(たとえば、この世とあの世を分ける)という役割があることを述べられた。島田先生によると、この「ものごとを分ける」という言葉の機能は、存在が明らかではないもの(例えば「あの世」)についての言葉を作り出すことにつながり、それは、「言葉は自然界に存在しないものをつくる能力を持っている。」(筆者注:言葉は想像力や妄想の要因という意味であろう。)

 次に島田氏は、余分な装飾や大きさを取り除いた、人間にとって最小の部屋(島田氏の言葉によると、「人間の容器としての究極の空間」)を、"ニルヴァーナ・ミニ(=極小彼岸)"と名づけ、このような空間は人が妄想するために最適であると主張された。氏によると、妄想をすることが小説を書くことにつながるという。例えば、歴史小説では、事前に、登場人物についての資料を調べていくものの、そのデータを元にして物語を紡ぐのは、妄想(島田氏の言葉では"なりきりプレイ")を行うからできることだという。

 さらに島田氏は、"ニルヴァーナ・ミニ"が、教会や寺院の持つような機能も持つとした。すなわち、"ニルヴァーナ・ミニ"のような空間では、自分の内側に思考が向かい、敬虔な気持ちになり、神と対峙しているような気分になってくるという。さらに、"ニルヴァーナ・ミニ"のような空間に身をおくことや、農業や工芸など、プリミティブなもの、自分たちの遠い祖先がやっていたことを行うことが現代人にとって必然的で重要なことではないかと主張された。

 私は、島田氏の講演を聞く以前から、個人的に小説や妄想というものについて気になっており、その点から島田氏のお話を興味深くお聞きした。まず、小説というものは、文字という非常にデジタルで静的な情報を用いて、存在しない人物や環境が存在しているかのように読者に感じさせる。このようなことは、おそらくあらゆる動物の中で人間にしかできないであろう。その理由は、言語を理解できるというだけではない。人間が、ごく少ない情報から他者の感情や気持ちを理解し共感できるという、高い他者理解能力を持つからこそ、多くの人に小説という表現形式が受け入れられてきたと思われる。従って、小説は、人間の認知機能のある種の特徴が非常に現れたものといえるのではないだろうか。また、妄想(すなわち想像力)も人間に特徴的な性質である。おそらく、人間はあらゆる動物の中で最も高い想像力をもつと考えられる。想像力なしでは、小説を理解することはできないだろう。一方で、島田氏はやはり、妄想(想像力)が、小説執筆のキーであると述べられた。

 従って、小説という表現分野は、他者理解能力、想像力という、人間に非常に特徴的な能力の現れであると思われる。よって、小説を脳科学的に研究することで、人間の本質に迫ることができるかもしれない。もっとも、そのような考えこそ、ただの妄想かもしれないのだが。

日時 2009年7月15日(水)16時00分~17時30分
場所 玉川大学 大学8号館 123教室
報告者 内田 淳(玉川大学脳科学研究所・GCOE RA)