視線の動きは脳・認知の情報処理が反映されたものであり、その理解は単なる視覚を超えたより深い認知過程の理解につながっている。本ワークショップでは、国内外より4名の講師をお招きし、当研究所からの講師3名と合わせて7名の講演者が、視線を介した認知や情報処理に関して神経科学・計算モデル・認知発達といったさまざまな立場からそれぞれの最新の研究成果について発表を行った。その後、今後の研究の新たな展開に向けて討論を行った。
当研究所の坂上雅道氏からは、サルにおける報酬の価値判断に基づく意思決定の脳内処理に関して、ダブルサッケードパラダイムを用いた検討を中心に紹介いただいた。直接報酬に結びつく視覚刺激を学習する際に用いる神経回路(刺激に基づく価値評価システム)と、直接報酬に結びついているわけではないが、間接的に報酬と結びついている視覚刺激(報酬を予測できる視覚刺激)を学習する際に用いる神経回路(知識に基づく価値評価システム)がそれぞれ黒質-線条体ドーパミン経路(いわゆる報酬系)と前頭前皮質の経路に対応して表現されていること、それらの関係と役割などについてお話しいただいた。
九州大学のJan Lauwereyns氏からは、視線運動と情報に備わる誘引(intrinsic attraction)の効果について、いくつかの実証研究からの発見をお話しいただいた。ヒトの視線の動きというものは偏った性質をもっており、ランダムでも機械的でもない。脳は、中心と辺縁、図と地、中心視と周辺視、腹側と背側といった処理に代表されるような極性を持った知覚の上で相互作用を行うように組織化されている。その証拠となる知見の一つとして、次のような実験の紹介をいただいた。画面下部の固視点から上部のターゲットに視線を動かす課題において、画面左右に課題とは無関係のタブー語と中立語を対呈示し、被験者のサッケードの軌跡を記録すると、タブー語を避けて中立語に寄った偏った視線軌道が得られる、しかもその偏りは言語処理に有意な脳の左半球に視覚情報が早く到達する状況において大きくなったという。
カリフォルニア工科大学の下條信輔氏からは、視線と視覚的選好ならびに魅力との関係について行った5つの発見についてお話しいただいた。たとえば、二つの選択肢から好きな方を選ばせると、好みを決める「前」から好んでいると選択する方の刺激に視線が偏るという「視線のカスケード現象」の発見はすでに有名である。下條氏は視線のカスケード現象が視覚刺激のみならず、触覚や聴覚においても共通に見られる現象であることを手触りや音楽の試聴を用いた強制選択課題によって実証的に示されていた。また、これらの情報選択におけるカスケード現象が単純接触効果では説明できないことを被験者の視線をコントロールする洗練されたデザインの統制実験を通じて示されていた。
ロンドン大学のRachel Wu氏からは、新奇性・親近性に関する視線探索について、項目の適合と項目のカテゴリ的適合を求めた場合の視線探索における事象関連電位の相違についてお話しいただいた。実験では、成人被験者にとって①新奇性の高い「漢字・漢数字」の中から、あるいは②親近性の高い「英語文字・アラビア数字」の中から、項目が適合する刺激、カテゴリが適合する刺激を視覚探索させた。その結果、被験者の視線探索が、カテゴリよりも物理的な知覚特徴に影響を受けていたこと、また注意選択の早い段階に、カテゴリ・テンプレートの影響を受けていたことが示された。この結果は既存の注意の理論に反するものであり、トップダウンの注意選択のダイナミクスや新奇の知覚的カテゴリの獲得に対して新しい示唆をもたらすものであることを示された。
北陸先端科学技術大学の日高昇平氏からは、乳児の行動実験の視線データからベイズ推定の手法を用いて乳児の注意と学習の特徴づけを行う計算モデルについてお話しいただいた。乳児が示す注視行動には大別して新奇性に基づく選好と親近性に基づく選好が存在する。これを利用した選好注視法は乳児の認知背景を明らかにする手法として広く用いられてきたが、実際に観察される注視行動とその背景にある乳児の認知過程の関係については不明な点が多い。それは、新奇性に基づく選好と親近性に基づく選好が表面上の注視行動からは区別しにくいという問題点である。日高氏らの提案する新たな注視データ分析による乳児理解の枠組みはその長年の問題に一石を投じる可能性がある。
当研究所の高橋英之氏からは、乳児期における運動主体感(sense of agency: SoA)について、視線を用いた推定についてお話しいただいた。SoAは、たとえばコンピュータゲームのキャラクターを操作している際に自分がキャラクターを動かしていると感じられるような主観的感覚を意味するが、言語未発達の乳児ではそれを評価することが難しい。高橋氏はSoAの評価を可能にする「アイ・スクラッチ課題」を通じて乳児の内的感覚の推定に取り組んでいる。SoAの有無に応じた視線特徴から設定された定量的な指標を8カ月の乳児に適用し、8カ月の乳児でもSoAを感じている成人と同様の視線傾向が見られることが示されていた。
最後に、当研究所・工学部の大森隆司氏からは、自動車運転時の視線方向決定の計算論的モデリングについてお話しいただいた。自動車を安全に運転するためには、常に予測される危険を回避し適切な進路を取る必要がある。大森氏らは実際の自動車運転者の視線軌道を解析し、自動車の安全運転のモデル構築に役立てることを試みている。予測される危険を動き予測に基づく外在的な危険と死角や障害物の後方など見えづらい領域における存在予測に基づく内在的な危険の二種類に定式化し、運転者の視線方向決定のモデル化・シュミレーションの結果についてご紹介いただいた。
以上7つの講演者の発表を通じて、最後に視線からヒトの内的状態を評価することの難しさ、特に運動主体感と視線のコントロールのモチベーションとの関係や、親近性・新奇性といった注視行動の背景にある認知プロセスの推定の困難さなど、多岐にわたって活発なディスカッションを行った。
日時 | 2012年3月12日(月)10時〜17時 |
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場所 | 玉川大学 研究・管理棟5階507会議室 |
報告者 | 宮﨑美智子(グローバルCOE研究員) |