【レポート】
グローバルCOEプログラムシンポジウム
『ギャンブル、経済、脳科学』

■ プログラム ■

13:00 開催の挨拶・講演主旨説明
    坂上雅道(玉川大学脳科学研究所 教授/玉川大学グローバルCOEプログラム拠点リーダー)

13:20 <作家・人間観察者としての問題提起>
    高橋源一郎 氏(作家・評論家・明治学院大学国際学部 教授)

13:40 <意思決定脳科学からのアプローチ>
    坂井克之 氏(東京大学大学院医学系研究科認知・言語神経科学分野 准教授)

14:00 <神経経済学からのアプローチ>
    西條辰義 氏(大阪大学社会経済研究所 教授)

14:30 パネルディスカッション 「人間はなぜリスクを伴う行動を選ぶのか?」

15:20 閉会の挨拶  丹治順 (玉川大学脳科学研究所 所長)


 2009年9月12日、日本科学未来館においてギャンブルと経済、脳科学について考察するシンポジウムが開催され、7FみらいCANホールをほぼ満席とする300名近くの参加者が訪れた。

 人間は主観的に判断して自分にとって得になること、価値のあることを選び行動すると考えられている。しかしそうした行動原則とは異なってみえる選択をすることがあり、その一つとしてギャンブルを捉えることが出来る。脳科学はそれにどのようにアプローチしていけるのだろうか。シンポジウムの冒頭に於いて坂上雅道氏(玉川大学脳科学研究所)はこのように当シンポジウムの問題意識を紹介し、近年の脳科学において可能となっている基本的なアプローチを述べた。第一に、行動を左右する「価値」の形成を理解するには快楽物質とも言われる神経伝達物質、ドーパミンの働きが鍵となるだろう。この物質は過去の経験から報酬を期待させるものが出現したとき脳内で放出されヒトや動物に「価値」を感じさせる。第二に、意志決定における脳の二重構造とせめぎ合いのあり方を捉える必要もあるだろう。ドーパミンに反応する脳の部位は大脳基底核といういわゆる「古い脳」と、進化の過程で得た「新しい脳」である前頭葉の双方があり、前者が報酬に対し無意識的に自動化された欲求反応をもたらすのに対し(例えば目の前のお金をまず欲しいと思うなど)、後者は長期的視野に基づく論理的な反応を返す傾向がある(将来に損をしないように目先の利益を追うことを控えるなど)。第三に、人間の脳は非常に可塑的であり、常に「新しい価値」を作り出していけるという特徴がある。ある人が他の人に「損」と見えるような行為(たとえばギャンブルなど)などは、その人の脳が新しい「価値」を作り出し、それに従っている状態を意味するのかもしれない。

 続けて作家、評論家の高橋源一郎氏がギャンブルに依存する人間の主観的体験について当事者の立場から分析した。氏にはギャンブルを愛する者はギャンブルをすると言う行動の中に究極の価値を見いだす瞬間があるという。その価値はいわゆる経済的利益とは異なるものであり、例えばギャンブラーにとっては経済的な損失、敗北ですら否定的な体験ではなく、ギャンブルすることの喜びの一部を構成しているという。氏は更にその「ギャンブルの喜び」の根底には、人間の力では及ばないものに対する抵抗への意志があるのではないかとも述べる。賭けるとき、人は知り得ない未来の結果に思いをはせる。それはいうなれば時間への挑戦であるというのだ。そして氏はその行為に宗教の原点と重なる部分をも見いだす。時間に挑戦し「賭ける」という行為選択が時に一方的な自己犠牲としか見えないような形で現れることがあるからだ。例えば磔になったイエス・キリストは人類の救済という達成可能かも不明な途方もない目的のため自らの命を賭けた。これは究極のギャンブルとして理解できるのではないか。こういった自己の保全や経済的価値を超えた別の価値、別の経済を前提とする行為選択により、宗教や芸術は成り立っているようにみえるというのである。

 三番目の講演者、坂井克之氏は競馬新聞を例にとり、事前に得られる情報の多寡と賭の結果に対する満足感との関係を論じた。一般に情報量が少ないときはよく考えてから判断した方が満足度の高い結果に結びつく傾向があるが、情報量が多いときは考えすぎない方が満足度も高い傾向があるという。後者の状況についてその認知プロセスはわかっていないがこの点を検証すればギャンブルを理解することにもつながるだろう。また大脳基底核の活動パターンにより個人ごとのリスクを回避する傾向の大小を推測することが出来る可能性があるという。そして氏は人間にとっての「報酬」は多様であり、いわゆる「七つの大罪」、色欲、金銭欲、食欲、傲慢、嫉妬、憤怒、怠慢などがその「報酬」の形成に関わってくるのではないかとも述べた。

 最後の講演者、西条辰義氏は実験経済学を専門とする立場から、市場が効率的であるという市場効率仮説に基づく経済学の失敗について論じた。これまでの経済的合理性についての概念から離れ、経済学、心理学、歴史、数学、そして脳科学などの知見を複合的に取り入れた新たな経済学を創出する必要性があるという。その試みの一つとして、氏はヒトの社会的協力関係についての調査事例を紹介した。例えばどのような条件があればヒトは他者に非協力----場合によっては「意地悪」----をするか、もしくは協力するのか。現時点では、報酬などの諸条件が確実な状況ではプレイヤーは非協力に傾きやすいが、不安定・不確実な状況で自信が持てなくなると協力(助け合い)へと向かう傾向などが確認されているという。今後は脳科学の様々な手法を組み合わせた実験調査も期待される。

 討論では幅広い話題が話し合われた。例えばギャンブルをはじめとする人間の経済行動には「他のギャンブラー」や「市場」のような「集合的無意識」を仮定する能力が必要となることが指摘された。また、不確実性に賭けるというのは恋愛など日常の至るところに頻出する側面であり、見方を変えれば、「賭け」という意味でのギャンブル的なものは人間の精神生活に深く根ざしている可能性が認識された。そして最後には人間や社会にとってギャンブルはいかなる意味を持つのかという論点にも発展し、興味深い議論が行われた。

日時 2009年9月12日13時00分~13時30分
場所 日本科学未来館 みらいCANホール
報告者 隠岐 さや香(玉川大学脳科学研究所)