本講演では、北陸先端科学技術大学院大学・教授の橋本敬氏に、言語進化と記号コミュニケーションについての背景のご紹介、ご自身のシミュレーション研究および最近の行動実験についてのご講演いただいた。まず、言語とコミュニケーションとは、一部は重なるものの、両者はかなり違うものだと切り出した。言語のないコミュニケーションも、コミュニケーションではない言語(思考など)も存在するからだ。続いて、言語のダイナミクスには数秒から数万年というさまざまな時間スケールの階層性が考えることを説いた上で、言語の起源と進化についての包括的な説明をおこなった。「進化」を「variationとselectionによって伝達される変化」と本質規定し、その上で言語の進化には、生物学的進化(言語能力の遺伝的獲得)と文化進化(言語自体の複雑化および構造化)という2側面があり、概念的には両者は区別されるべきであるという。話はさらにChomskyの言語理論との比較へと展開された。Chomsky理論の本質は、mergeによる再帰的構造を言語が有しているということであり、これにより、現実には存在しない概念の創造と新たな現実の創造が可能となることを氏は主張した。言語が新たな現実を生み出す原動力となるという主張はまさに革命的だ。しかも、「ボールドウィン効果」に加えて、文化的環境も生物学的進化に影響を与えうるという、ダーウィンに反旗を翻すかのような非常に革新的な意見に対して、会場からも多くの議論が巻き起こった。生物学的形質における遺伝子に対応する文化的形質におけるミームの存在をドーキンスが想定したことは周知のことであるが、これが言語進化の鍵となるということであろう。
氏の話は具体的なシミュレーションの話へとさらに掘り下げられた。初期状態からさまざまなパラメータを設定してその挙動を調べる通常のシミュレーションではなく、シミュレーションをツールとして、特定の変化パターンを起こしうる初期状態を推定する構成論的アプローチを氏は展開していることを明らかにした。具体的なシミュレーション研究に実際の言語における豊富な具体例を織り交ぜながら、類推と置き換えによる語用の拡張と、随伴性に基づく一方向的な言語の変化が、新たな文法規則を生み出しうることを明らかにした。この段階で既に予定していた時間を超過するほど議論も盛り上がっていたが、やはり実験の話まで終わらせて欲しいということで、時間を延長して、記号の意味づけプロトコルを新たに作り出しながら記号の意味を共有していく場面を実験室に持ち込むという、これまた画期的な行動実験の結果を報告した。プロトコルがうまく共有される場合とされない場合の違いについて、多くの議論が交換された。
最後に、人類の脳進化と言語進化とを絡めた氏の壮大な仮説。約5万年前の文化のビッグバンにおいて、石器の種類も非常に豊富になりつつも、脳容量はむしろ縮小する。脳容量自体はメモリ容量に対応しており、言語自体の進化はそれとは異なる言語の複雑化・構造化によっていることを人類学の証拠と共に示し、締め括られた。
橋本氏の類い希なる独創性と博識および緻密な論理性が存分に発揮された素晴らしい講演であった。
日時 | 2010年9月30日(水)17時00分~20時00分 |
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場所 | 玉川大学研究管理棟5階507室 |
報告者 | 松元 健二(玉川大学脳科学研究所・准教授) |