本講演では、カリフォルニア工科大学の大学院生、稲垣秀彦氏に、ショウジョウバエの行動の神経回路レベルでの解明について、ご講演頂いた。
行動を引き起こす脳内情報処理の理解には、ニューロン一個一個の活動も大事であるが、それらが神経回路の働きとしてどのように有機的に統合され、秩序だった行動を作り出しているのかを明らかにしていくことにより、神経科学は新しい段階に入るであろう。しかし、哺乳類の中枢神経系はその神経細胞数の多さから、感覚入力から行動出力までをつなぐ神経回路を網羅的に調べることは非常に困難である。
そこで稲垣氏は、哺乳類ではなく、ショウジョウバエをモデル動物として選んだという。従来から遺伝学のモデル動物として盛んに用いられてきたショウジョウバエは、もちろんその遺伝学的ツールが非常に豊富であるという利点がある。それだけでなく、さらに重要なことは、神経細胞数が少ないにもかかわらず、現れる行動は非常に多様であると稲垣氏は言う。実際、彼が見せてくれたショウジョウバエのムービーは、哺乳類にも負けず劣らずダイナミックかつ複雑な行動を映し出しており、さながらSF映画でも見ているようであった。以上のような理由から、ショウジョウバエを用いて、行動のメカニズムを神経回路レベルで解明する研究が、彼の所属する研究室を初めとして、最近脚光を浴びていることが講演では強調された。
稲垣氏自身による研究としては、ショウジョウバエの触角の機能が扱われた。ショウジョウバエの触覚経由の知覚は、A, B, C, そしてE領域の感覚細胞がそれぞれが、聴覚と重力知覚にどのように関与しているか、それぞれの感覚細胞の活動をモニターしたり、その細胞の機能を特異的に遮断する実験によって調べた。その結果として、AB領域の感覚細胞は聴覚情報を検知、処理するのに対し、CE領域の感覚細胞は重力知覚情報を検知、処理することを報告した。稲垣氏らは、聴覚と重力知覚とが別々に処理される構造は、人間の脳とよく似ていることに注目している。 さらに稲垣氏は、逆にこれらの既存の手法では探求困難な高次神経系回路を研究するために、現在開発中の新手法をさまざまに、特に飢餓状態や温度によるストレスが及ぼす感覚系への影響や行動のstateの変化を指標として、より高次な行動の神経回路メカニズムへのアプローチについて議論した。
ショウジョウバエのような、我々が普段接することのないモデル動物を用いることで広がる新たな世界を実感した思いがした。ミクロの世界での行動を見てみると、ショウジョウバエといえども、実に高度な行動パターンを生成している。このことは、哺乳類の脳が非常に冗長なシステムを形成していると言うことなのだろうか。それとも、やはりその複雑さこそが、ショウジョウバエには持つことのできない世界モデルとしての心を作り出すのに必要なことなのだろうか。ショウジョウバエの脳と私たちの脳との間の差の本質は一体何なのかを考えさせられる講演であった。哺乳類の脳というのが以下に複雑であり、その特徴を捉えることが如何に困難なことであるかを、ショウジョウバエの脳のメカニズムから逆照射した稲垣氏の講演は、GCOEの若手研究者にとっては、哺乳類の脳を調べることによって得られる真に価値ある研究とは何かを考えるよいきっかけになったと思う。
日時 | 2009年9月24日(木)16:00~17:30 |
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場所 | 玉川大学研究管理棟5階507室 |
報告者 | 松元 健二(玉川大学脳科学研究所・准教授) |